安心の旅

浄土真宗の信心について書いていきます

2023-08-01から1ヶ月間の記事一覧

51.六字親様の歌

恋しきままにかき送る 母のいふこと聞てくれ虚でかためた此世なり 誠づくめは六字なり なむあみだぶつ なむあみだぶつ おまへは母を忘れても 母はおまへを忘れぬぞ思ひどほしのこの母は よるひる常に称へずめ なむあみだぶつ なむあみだぶつ 称えつづける御…

50.六字に満足した実話

前席で、祖師や聖人たちの信仰について詳しく話しましたが、皆さんに理解していただけたでしょうか。 今日の私たちが、信心や安心に頼ることを難しい仕事のように感じていると、話は全く方向が違ってしまいます。 祖師や聖人たちも、信心や安心を得るのに苦…

49.聖人求道の径路

前の席で、法の絶対性を「ねずみ小僧」に例え、機派の盛況は毎日仏教を追い出そうとしているようだと、思い切った話をしました。 皆様は非常に驚き、突拍子もない話だと思う方もいれば、非常に不謹慎な説教であると激しく批判する方もいるでしょう。しかし、…

48.力なくして往生

さあ皆さん、この話をよくお聞きいただけましたか。話し自体は面白くないかもしれませんが、実際の意味や効果は重要ではありませんか。 鬼や悪魔に捉えられても、自分の力で抵抗できなければ、仕方なく従わなければならない時がある。 しかし今は、大いなる…

47.ねずみ小僧のたとえ

さて、これまでにもお話ししてきましたが、本願他力の不思議な力、悪を造り善のできない私たちが、たった六字の名号を信じることで、正しい信念を持つことができる。 人生の終わりには、最上の証を開かせていただくことができる、この絶対的な方法は、南無阿…

46.保つ所の仏智を募れ

何よりも、一日中六字(南無阿弥陀仏)の教えに夢中になっています。 信仰も六字、安心も六字、助けも六字、往生も六字、最も重要なことでさえ、生きた仏の親と呼ぶことがあるのです。 ところがある同行者が私を批判して、「あの人は仏の体を嫌い、六字に夢…

45.御助けの在処が違う

この忙しい日々を乗り越えて集まることは、火の中から耳を傾けるようなものだと言われます。 本当に火の中ではないので耳を傾けることができますし、本当に大千世界中が火で満ちているわけではありません。 この比喩された「火」とは、私たちの心の中の忙し…

44.真宗の六字尊号

前の話から続いて、鎮西の四字の称号と、私たちの教えの六字の称号について説明します。 これは、私たちの教えの基本的な部分に触れる重要な問題です。 私のような無学で知識の浅い者が話す限りでは、完全に説明することはできません。また、皆さんがこのよ…

43.鎮西の四字尊号

とにかく六字のお助け以外に、頼る手がなくてはならない、たのむ思いがなくてはならないという考えがあるのは、全く六字のお助けを受けていない人の言うことだ。 貧しい人の手元に大金が届いた際に、金さえあれば、心配もなくなり安心できる。その安心とは、…

42.他力の御手

前に話した通り、他の力を借りて、その手にしがみつくという考え方はどこからくるのか理解できない。 阿弥陀仏の名を信じて念じることと、その教えを分けて考えるのは間違いだ。信じるならば、助けが与えられる。 しかし、自分の心で信じるなら、それは自力…

41.信体と信相

一念発起、平生業成のたのみぶりも、金剛というも、堅固というのも、自力を捨てるのも、疑い晴れるというのも、これらの概念が我々の意識上に明確に表れるとしても、それは我々凡夫の心の実質が確かなものに変化するわけではありません。 信仰の実態や信念が…

40.網相と信相

私たちの流派で説く他力信仰の理解は、井戸に一本の縄を下げるような単純で、掴んだら上がり、放したら落ちるような危ういものではありません。 蓮如上人の言葉にも、迷い悩む衆生を救う網や、西方浄土へと引き寄せる釣り針について触れられています。この一…

39.寝て居ては網にかからぬ

さて皆さん、今の話をよく聞いてください。これは絶対にあいまいな話ではありません。このあたりの皆さんにも、同じような疑問があることでしょう。 まず第一に、網で救われるなら、家の中で寝ていても助かるだろう。 第二に、網に入れられると、一心の信仰…

38.網派と縄派

この話は私が体験したことです。 新潟県の西蒲原郡和納村で、電車の時間を待っている際、久しぶりに竹内という友人の家を訪れました。 その時、家族も隣近所の人々も大いに喜んで、さっそく他の友人たちも集まってきました。 北国らしく、囲炉裏を囲んで挨拶…

37.摂取の綱が純他力

勧修寺の道徳が新年の元日に蓮如上人の元へ挨拶に行った際、上人は早速尋ねました。 『道徳はいくつになるぞ。道徳念仏申さるべし。』と。 その念仏に自己の力と他者の力があることを示し、最後に 『他力とは他のちからというこころなり。この一念、臨終まで…

36.唯信鈔の取捨

しかし、このロープにつかまって引き上げられる例えは、ある先生が自分で考えた話ではないのです。皆さんもご存知の通り、その例えは「唯信鈔」という聖教の中に出ているので、その文章を読んでみるとわかります。 たとへば、人ありて、高き岸の下にありての…

35.綱にすがるは半自力

私がこの話を聞いたとき、理解できない部分があると感じました。 その理由は、井戸の中からロープにつかまって引き上げられる際、どうしても自分の力と他人の力の共同作業になるからです。 引き上げる人の力が非常に強くても、引き上げられる少女の力が足り…

34.綱にすがるたとえ

『朝霧や呼べばこなたに渡守り』 朝霧の中で、向こう岸にいるはずの渡し守を呼びかけるが見えない渡し船の場所。 船頭は大声で「おーい」と叫ぶと、意外にも足元から船が出るという返事があった。遠くないところにあったことに驚いた。そんな感じがこの詩に…

33.仏になるには

この度、人間として生まれたことは素晴らしいですが、私たちの人生は永遠ではありません。 いつ死ぬかわからない不確実なものです。体はこの世に残されるもので、子供や孫が面倒を見てくれるでしょう。 しかし、心は誰もが面倒を見ることができないものです…

32.この世に出るには

今から皆さんに、浄土真宗の極楽への道のりについて、大まかに話してみたいと思います。 信心の安心、一念の後念、自力の疑いといった話は、とても難しいように感じるかもしれません。文字や言葉に囚われてしまうと、大まかな方向が理解できず、信じることが…

31.乗込んだ機相

私たちが阿弥陀如来様にどれだけ待たせたか考えてみましょう。法然上人が一度、阿弥陀経を読んでいる途中で、涙を流したことがあります。 弟子たちが理由を尋ねた時、法然上人は、阿弥陀仏の成仏から十劫もの間、衆生を待っているということに、涙が止まらな…

30.乗せられた信相

さて、この五乗院様のお話は理解できますか。 実に奇抜と言いましょうか、深遠と言いましょうか、他力教の驚くべき不思議と信じられる一念の究極を、細かく説明してある教えです。 私から始めて、漆で塗られたような強固な信仰をこの機に求めて、今度こそは…

29.断りが遅いと仏になるぞ

私の信徒の中に、越後の貞信という人がいました。真宗の信者の間では誰もが知っている、非常に信仰心の深い人でした。 しかし残念なことに、彼は83歳で喜んであの世へと旅立ちました。この貞信が生きている間に、彼が私たちに絶対的な他力本願の教えを伝えて…

28.弘誓の船と港

前回からの話を続けますが、我々が今度この難度海を渡るために頼る弘誓(大誓)の船の本体は、大悲心から来る呼び声です。 すなわち、生きとし生ける者を呼び出し乗せる、その呼び声が弘誓の船と言えます。そして、この弘誓の船が到着する場所はどこかと問う…

27.呼び声と船

皆さん、この「有情(生きとし生けるもの)を呼んで乗せ給う」という部分は、本当に全世界で比類ない、超越した弥陀仏の教えに特化した特徴を、明らかに示してくれます。 多くの人たちは、ここに何か不思議なことがあることを理解せず、ただ一般的な救助船が…

26.呼んでのせて下さる

そのため、阿弥陀如来はどうして私たちを広大な誓いの船に乗せてくださるのかというと、それは驚くべき方法で私たちを乗せてくださるからです。 その教えはの和讃の中にあります。 『弥陀観音大勢至、大願の船に乗じてぞ、生死の海にうかみつつ、有情を呼ぼ…

25.他力に乗せられる

たとえ切符を持っていても、乗らなければ目的地には行けません。そして弘誓の船には、切符は必要ありません。 ただ乗れば行ける、それが本質です。 そしてその乗るという行為が、南無と信じることと一致するとすれば、乗るという決意こそが重要なのでしょう…

24.乗り込んだのは南無

続けて話をさせていただきますが、先ほどは阿弥陀仏の誓願の船に乗るにあたって、切符は必要ないと詳しく説明しました。 だからといって信心がなくてもいいのかと疑問に思う方もいるでしょう。 しかし、信心がなければ浄土への道は開けません。信心が必要だ…

23.切符は狂人の沙汰

まず第三の問題は、「切符がなければ乗せられない」という主張についてです。 これを言うと、大悲の親様を、まったく無理矢理に解釈してしまいます。 全てに切符が必要というのは、利益を追求する汽車や汽船が言っていることで、つまり、お金を出して乗るも…

22.切符を持たずに飛び乗る

第二に、もし信心が切符で、救いが汽車だとしたら、切符と汽車は全く別のものなので、それは機と法が二つになることを意味します。 もし機と法が二つになるとしたら、切符を手に入れた時と汽車に乗った時は絶対に別にならなければなりません。 それでは、一…