2023-08-16から1日間の記事一覧
恋しきままにかき送る 母のいふこと聞てくれ虚でかためた此世なり 誠づくめは六字なり なむあみだぶつ なむあみだぶつ おまへは母を忘れても 母はおまへを忘れぬぞ思ひどほしのこの母は よるひる常に称へずめ なむあみだぶつ なむあみだぶつ 称えつづける御…
前席で、祖師や聖人たちの信仰について詳しく話しましたが、皆さんに理解していただけたでしょうか。 今日の私たちが、信心や安心に頼ることを難しい仕事のように感じていると、話は全く方向が違ってしまいます。 祖師や聖人たちも、信心や安心を得るのに苦…
前の席で、法の絶対性を「ねずみ小僧」に例え、機派の盛況は毎日仏教を追い出そうとしているようだと、思い切った話をしました。 皆様は非常に驚き、突拍子もない話だと思う方もいれば、非常に不謹慎な説教であると激しく批判する方もいるでしょう。しかし、…
さあ皆さん、この話をよくお聞きいただけましたか。話し自体は面白くないかもしれませんが、実際の意味や効果は重要ではありませんか。 鬼や悪魔に捉えられても、自分の力で抵抗できなければ、仕方なく従わなければならない時がある。 しかし今は、大いなる…
さて、これまでにもお話ししてきましたが、本願他力の不思議な力、悪を造り善のできない私たちが、たった六字の名号を信じることで、正しい信念を持つことができる。 人生の終わりには、最上の証を開かせていただくことができる、この絶対的な方法は、南無阿…
何よりも、一日中六字(南無阿弥陀仏)の教えに夢中になっています。 信仰も六字、安心も六字、助けも六字、往生も六字、最も重要なことでさえ、生きた仏の親と呼ぶことがあるのです。 ところがある同行者が私を批判して、「あの人は仏の体を嫌い、六字に夢…
この忙しい日々を乗り越えて集まることは、火の中から耳を傾けるようなものだと言われます。 本当に火の中ではないので耳を傾けることができますし、本当に大千世界中が火で満ちているわけではありません。 この比喩された「火」とは、私たちの心の中の忙し…
前の話から続いて、鎮西の四字の称号と、私たちの教えの六字の称号について説明します。 これは、私たちの教えの基本的な部分に触れる重要な問題です。 私のような無学で知識の浅い者が話す限りでは、完全に説明することはできません。また、皆さんがこのよ…
とにかく六字のお助け以外に、頼る手がなくてはならない、たのむ思いがなくてはならないという考えがあるのは、全く六字のお助けを受けていない人の言うことだ。 貧しい人の手元に大金が届いた際に、金さえあれば、心配もなくなり安心できる。その安心とは、…
前に話した通り、他の力を借りて、その手にしがみつくという考え方はどこからくるのか理解できない。 阿弥陀仏の名を信じて念じることと、その教えを分けて考えるのは間違いだ。信じるならば、助けが与えられる。 しかし、自分の心で信じるなら、それは自力…
一念発起、平生業成のたのみぶりも、金剛というも、堅固というのも、自力を捨てるのも、疑い晴れるというのも、これらの概念が我々の意識上に明確に表れるとしても、それは我々凡夫の心の実質が確かなものに変化するわけではありません。 信仰の実態や信念が…