安心の旅

浄土真宗の信心について書いていきます

2023-08-12から1日間の記事一覧

30.乗せられた信相

さて、この五乗院様のお話は理解できますか。 実に奇抜と言いましょうか、深遠と言いましょうか、他力教の驚くべき不思議と信じられる一念の究極を、細かく説明してある教えです。 私から始めて、漆で塗られたような強固な信仰をこの機に求めて、今度こそは…

29.断りが遅いと仏になるぞ

私の信徒の中に、越後の貞信という人がいました。真宗の信者の間では誰もが知っている、非常に信仰心の深い人でした。 しかし残念なことに、彼は83歳で喜んであの世へと旅立ちました。この貞信が生きている間に、彼が私たちに絶対的な他力本願の教えを伝えて…

28.弘誓の船と港

前回からの話を続けますが、我々が今度この難度海を渡るために頼る弘誓(大誓)の船の本体は、大悲心から来る呼び声です。 すなわち、生きとし生ける者を呼び出し乗せる、その呼び声が弘誓の船と言えます。そして、この弘誓の船が到着する場所はどこかと問う…

27.呼び声と船

皆さん、この「有情(生きとし生けるもの)を呼んで乗せ給う」という部分は、本当に全世界で比類ない、超越した弥陀仏の教えに特化した特徴を、明らかに示してくれます。 多くの人たちは、ここに何か不思議なことがあることを理解せず、ただ一般的な救助船が…

26.呼んでのせて下さる

そのため、阿弥陀如来はどうして私たちを広大な誓いの船に乗せてくださるのかというと、それは驚くべき方法で私たちを乗せてくださるからです。 その教えはの和讃の中にあります。 『弥陀観音大勢至、大願の船に乗じてぞ、生死の海にうかみつつ、有情を呼ぼ…

25.他力に乗せられる

たとえ切符を持っていても、乗らなければ目的地には行けません。そして弘誓の船には、切符は必要ありません。 ただ乗れば行ける、それが本質です。 そしてその乗るという行為が、南無と信じることと一致するとすれば、乗るという決意こそが重要なのでしょう…

24.乗り込んだのは南無

続けて話をさせていただきますが、先ほどは阿弥陀仏の誓願の船に乗るにあたって、切符は必要ないと詳しく説明しました。 だからといって信心がなくてもいいのかと疑問に思う方もいるでしょう。 しかし、信心がなければ浄土への道は開けません。信心が必要だ…

23.切符は狂人の沙汰

まず第三の問題は、「切符がなければ乗せられない」という主張についてです。 これを言うと、大悲の親様を、まったく無理矢理に解釈してしまいます。 全てに切符が必要というのは、利益を追求する汽車や汽船が言っていることで、つまり、お金を出して乗るも…

22.切符を持たずに飛び乗る

第二に、もし信心が切符で、救いが汽車だとしたら、切符と汽車は全く別のものなので、それは機と法が二つになることを意味します。 もし機と法が二つになるとしたら、切符を手に入れた時と汽車に乗った時は絶対に別にならなければなりません。 それでは、一…

21.切符を持って乗り遅れ

信心が切符、そして弥陀の助けが列車に例えられると、多くの疑問が生まれます。 まず、 第一に、信心の力が失われる。 第二に、私と弥陀の助けが一体となる考え方が成り立たない。 第三に、深く親切な弥陀に対する感謝が失われます。 さらに他にも様々な誤解…