安心の旅

浄土真宗の信心について書いていきます

2023-08-05から1日間の記事一覧

20.信心は切符であるか

『聞くたびに珍らしければほととぎす、いつも初音の心地とぞすれ』。 すべて自分が熱心に好きなものとなると、何度同じことを繰り返しても飽きる気持ちは起きません。ホトトギスを楽しむ人々は、何度聞いてもその度ごとに、いつも初めて聞くような感覚がする…

19.光明は六字なり

私が子供の頃、和讃や文を読んで、自分の心の中で思っていました。 どうやら私たちが疑問を解消して、一心に阿弥陀仏を信じるとき、西方浄土の仏様が、その光明を放って私たちを導くということです。 それを和讃では、『金剛堅固の信心の、定まるときをまち…

18.摂取は六字なり

先年、名古屋のある友人が私に次のように言いました。 「これまでずっと他力本願の重要性を聞かされてきました。その他力本願はなかなか難解でしたが、今回はついに手間がかからない他力本願の理解を深めることができました」と。 この発言に、私は驚きまし…

17.廻向は六字なり

火のことをどれだけ詳しく聞いても、体が焼けるという経験はありません。水の特性をどれだけ深く理解しても、手足が濡れることはありません。 しかし、阿弥陀如来の仏体、その威徳の不思議さを讃嘆する言葉を聞き、心に響いた一念で、悪人であっても救われる…

16.証誠は六字なり

涅槃経では三界に安定はなく、まるで炎上する家のようだと表現されています。 これが何を指すかというと、釈迦如来が三千年前から「火事だ、火事だ」と声を上げて呼び続けるその火事は、家屋や蔵の火事ではなく、私たち自身の身体の焼ける火事を指しています…

15.たのむ仏は何れ

仏を拝むことと、六字を聞くことは二つではなく一つで、まるで滅除薬(万能薬)のようです。 声が薬で、薬が声で、仏が六字で、六字が仏だと理解できます。仏の姿に出会うことも六字を聞くことも同じだからです。 書物には、名号を聞くことと、阿弥陀如来を…

14.拝む仏と聞ゆる仏

これまで一流の安心というのは、南無阿弥陀仏の六字の形だと話してきました。 この六字の名号と西方浄土の仏体との関係が、「名体不二不離」という不思議な表現があることを話してきました。 この「名体不二」の特徴から考えてみると、「仏体は礼拝する仏、…

13.名体不二

これまでお話した通り、音声としての六文字が、生きている仏と同じ徳があるということを、「名体不離」と言います。教義の上から言うと、「名体不二」と言われていますが、「名体不離」という表現は、教義には存在しません。 では、なぜ「不二」ではなく「不…

12.名体不離

『踏迷ふ道あだならでほととぎす』。 迷った道が誤りではなく、ホトトギスの鳴き声を聞けたのは山家に一晩泊まったおかげだ。 都市の中ではなかなか耳にすることのできない、その美しい声を深く楽しんで感じた。迷った道が結果的に幸運となった、それがこの…

11.相談しても結果は分からない

すべての相談というのは、どんな事でも、それが実行と共になされなければ、何の役にも立たない。 国会でも、県会でも、市町村会でも、議員たちがどんなに議論を繰り広げても、それを実行することができなければ、それは所謂、小田原評議、つまり形だけの話し…

10.六字は相談にあらず

世にはたくさんの不思議なものがあります。火が物を焼き、水が物を濡らし、蒸気の力、電気の働きなど、まさに不思議なことですが、しかしよく考えてみれば、そんなに理解できないことはないのです。 それに対して、六字によって、悪を作り出す私たちが仏にな…

09.頂くものは六字の喚び声

これは難易度が高い大問題なのです。誤解なく理解してほしいと思います。 たとえば、近くの駅まで5ブロックか3ブロック歩く場合でも、間違った方向に歩くと、日が暮れるまで歩いても、目的地に到着することはできません。 信仰も同じで、生涯の重大事と理解…