51.六字親様の歌
恋しきままにかき送る
母のいふこと聞てくれ
虚でかためた此世なり
誠づくめは六字なり
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
おまへは母を忘れても
母はおまへを忘れぬぞ
思ひどほしのこの母は
よるひる常に称へずめ
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
称えつづける御六字は
我等がみらいの親様の
まちかね給ふ御胸より
こいよきたれの御呼聲
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
この呼聲がただならぬ
尊き不思議のある事を
生々世々のはつごとに
きくはわれらの大仕事
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
我等は迷ひの凡夫にて
助かる縁のなきものを
無理にも助けてやり度と
大悲の親はいのちがけ
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
いのちにかけて親様は
慈悲と智慧とは円満て
五劫永劫はてしなく
思案に修行をとげ給ふ
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
思案は不思議に成就して
弥陀のからだの有丈は
目にもみえざる呼聲の
名体不二となりたまふ
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
名と体とはべつなれど
仏けの徳ある六字なり
紙幣(さつ)と銭とは別なれど
銭の値打ちが紙幣にある
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
紙幣(さつ)に値打ちの付いたのは
御てんししまの御約束
六字に仏けの徳あるは
阿弥陀如来の御本願
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
本願ありたけ仏けなり
ほとけ其まま廻向なり
廻向はすなはち六字也
六字の徳はいきほとけ
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
いきた仏けに二つあり
目に見る仏は御浄土に
聞ゆる仏けは我が耳に
響く御聲は仏けなり
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
ひびく御聲が仏けなら
称る六字もほとけなり
六字がいきた仏けとは
不思議の中の不思議也
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
不思議のいきた御仏が
今は耳よりひびきいり
まちがはさぬの呼声が
間違なしとしられたり
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
知りた心はわれなれど
知れた仰せは仏けさま
心にほとけの宿られて
にげる方なき此身なり
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
此身は親をわすれても
親に油断のあるものか
我等が動けば動くほど
聞こえた親はまもりづめ
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
護りどほしの御相たが
御六字さまぢやと知ぬ故
頼み心ろに身をやつし
さびしき念仏称へたり
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
さびしきはづよ親様を
遠ひ向ふにたづねたり
今は六字のおやにあひ
たのむ思ひに余念なし
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
余念なき身の仕合せは
忘れて暮すしたからは
親のすがたが恋しくば
いつもあはるる御念仏
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
申す念仏のありだけが
つもる御恩のまんぶ一
報謝と行ときくうへは
命ちをかぎり称ふべし
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
お前は都この旅のそら
母は田舎のわびずまひ
隔たる中にも隔てなき
六字の親をわするるなよ
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
お前も六字に助けられ
母も六字のうちにすむ
たとひ此世に別れても
未来は浄土に逢れます
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
浄土参りの身とならば
波風あらきよわたりも
勇み勇んでつとめあげ
末の楽しみまちませう
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
以上
50.六字に満足した実話
前席で、祖師や聖人たちの信仰について詳しく話しましたが、皆さんに理解していただけたでしょうか。
今日の私たちが、信心や安心に頼ることを難しい仕事のように感じていると、話は全く方向が違ってしまいます。
祖師や聖人たちも、信心や安心を得るのに苦労していた時期がありました。彼らの力で未来の問題を解決しようとしたその時代、つまり自力の時代でした。
しかし、一度吉水の禅室に入り、他力に導かれる親に出会い、不思議な名号の力が心に届いたのです。
こちらで信心と安心の準備は整い、向こうから届いたものでした。名号の六文字が信心と安心に変わり、頼むことや依存することも、面倒なく調和しました。
それは心の親に出会ったときでしたから、浄土論の四句にも記されています。
この四句は祖師聖人の信仰の核心で、特に四句二十字の中で、"遇"という一字が重要です。"遇"とは出会ったことで、何に出会ったのかというと、本願力に触れたことでした。
この遇いは火事や地震に遇ったわけではなく、敵に遇ったわけではありません。逃げても逃がさない本願力の助けに遇いました。
その本願力の助けが、南無阿弥陀仏であり、火事や地震に遇う証拠のように驚いてはいけません。
今、落ちない本願力に出会った証拠は、頼むことなく、任せずに足りている身になり、雑行を捨てて正行に戻った聖人の信仰でした。
この聖人の信仰について、全く同じ道を歩んでいる少女の話を紹介しましょう。判断は皆さんにお任せしますが、参考までに聞いてください。
越後国新潟付近の大野という田舎町に、寺院のない説教場があります。毎年12月22日から報恩講が行われ、私は17年間、その説教に行っていました。
この説教場の設立以来、全分の世話をしている呉服屋の高橋四郎平がいます。現在の主人は中年で、仏法や町のことを裏表なく世話し、近年は大野郵便局長にまで任命され、家業も繁盛でした。
しかし、満ちれば欠くという世の常で、今年の秋に大事な奥さんが子供を7人残して亡くなり、主人も非常に落胆しました。
翌年には四郎平自身も亡くなり、子供たちは両親を失いました。
この場合、2歳や3歳の子供には、何らかの手当てをすれば親を忘れることもあります。
しかし、7人の中で長女が18歳の花子、次の娘が16歳の春子で、急に両親に別れると、心の遣り場がなく、寝ても覚めても胸が苦しいです。
その年の報恩講に行くと、今の姉妹は以前とは違い、熱心に参加しました。
皆さん、これが法席へ出る、実際の主要な人々なのです。
なぜなら、皆さんも参加することは同じでも、その聴聞の目的が未来一つで助けを求めるからです。死んでから向こうのことを助けてもらいたいので、今日や明日のことは特に助けてもらう必要はありません
三度の食事も普通にとっており、暑さや寒さも適切にしのいでいる。病気や災難を願っても叶わないばかりか、むしろ雑業と叱られることになるから、遠慮しなければならない。
結局、この世の願いはそれ以上のものはない。
後世に地獄と極楽があると聞いても、地獄を聞いて怯えるほどでもなし。極楽だからといって興奮するわけでもない。
しかし、死んで地獄へ落ちるよりは、極楽へ行く方がいいと思うくらいの気持ちはある。とにかく、今、急いで助けを求める必要がない人々を、世間ではひやかし客と呼ぶものである。
今、浄土真宗は死んでから助けてもらう教えではない。助けは今、この場所である。これが平生業成であり、今助けをもらうつもりになって聞くべきだと思い、今が臨終と思い聞くように命じられたのだ。
世間の人々の中には、この臨終を迎えることを、今ここで死ぬ気になることだと誤解している人もいる。
明日の仕事までの計画をしてきた我々が、今ここで死ぬ気になるだろうか。
そうなったとしても、それは判官の切腹の演技に過ぎず、観念の遊戯で虚しいものだ。
本当に死ぬ気になるには、強盗に襲われて首を絞められるなどの状況でなければならない。
事実、そのような場合には、後世や悟りなど考える余裕はない。だから、臨終を迎えるということは、今この場で助けに会うことを意味するのだ。
「平生のとき善知識の言葉の下に、帰命の一念を発得すれば、その時を以て娑婆の終り臨終と思うべし」ということから、
今、この場所で助けに会えば、そこが娑婆の終わり、迷いの臨終が迎えられたところである。
かの韋提希夫人のような人物も、愛する我が子に幽閉され、悲しみと衰弱のあまり、死んで向こうのことなど考える余裕もなく、現在の救済を求めたことが、そのまま未来の助けとなったのだ。
今の二人の少女も同じである。死んで未来の地獄や極楽は二の次で、まず最初に両親と別れて、どうしようもない苦しい心の中で、助けて欲しい、救済して欲しいと願う心こそ、真に真宗の真の信者だと言わなければならない。
しかし、報恩講中は参りたいものの、呉服屋の忙しさで、少女が二人揃って、店を開けることができず、姉が参れば妹が留守番、妹が参れば姉が店番という次第で、互いに参拝し、熱心に聞いていました。
さて、七日夜の報恩講も早くも終わり、説教も今夜限りとなる二十九日の終了したところへ、16歳になる春子が、親戚の老母に連れられて私の部屋へ来た。
「この娘が貴方に聞きたいことがあるから、部屋へ連れて行ってくれと言いますので、お邪魔しましたが、どうぞこの娘に聞かせてやってください」と老母が言うので、
私は春子に向かい、「お前はこの頃、しっかり参っているが、何か不審なことでもあったのか?遠慮はいらないから、聞きたいことがあれば何でも話してください」と言ったら、
春子は柔らかい手をつき、「私は何の不審ということはないけれども、段々聞かせていただいてみると、この南無阿弥陀仏の六字が、私を助けて下さる親であるのか」と言った。
ふと、核心を質問されていると思ったので、私は声を張り上げて励ました。
「お春さん、そうだよ、そうだよ。私がいつも言っている通り、大悲の親様は西方浄土にいますが、仏の体のままではあなたに会うことができないから、
三世諸仏に劣らぬ、不思議な誓願を示し、選んで簡単に行くことができる最善の方法を示してくれました。
たった六字に仏の功德を込めて、その六字をあなたの心に投げ込んで、その六字であなたの心を引きつけ、離さずに浄土まで連れていきたいという願いが、南無阿弥陀仏になったのです。
これが親様の助けと、あなたの信念の力で、届いたのだ、抱かれたのだ、助かったのだ、頼んだのだ。あなたの心が変わっても、六字の手は動かず、あなたが忘れても、六字はいつも守っている。
寝る時も起きる時も、六字の親と一緒にいて、命終われば浄土まで送ってくれる南無阿弥陀仏があなたの心の親だから、これ以上聞くことはないのでは?」と細かく話したら、
今の春子は、「私はこれだけ聞ければ、もう何も必要ありません」と断言して答えたので、私はその時心の中で、「やった!やった!」と本当に両手を打ちました。
皆様、ここでよく味わってみてください。今の春子の一言は、言葉として特別なことはないけれども、その信仰の意味においては、確かに美しい懺悔文なのです。
「もう何もいりません」と、よく言ったものだ。明るくても暗くても、喜びがあってもなくても、この機会を見る必要がなくなった姿が、この一言に溢れています。
「これだけ聞かせて頂ければ」と、六字に満足して、一心に後世に助けを求め、往生の確定も黙々と動いている姿を見て、
「お春さん、それでよかったね、よかったね、これからは親様と二人で大切に過ごし、念仏を唱えながら日々を送ってください」と言ったら、今の少女は喜んで、老母と共に礼を言って立ち去りました。
十二月の末、日が急に暮れました。今夜が最後の説教だということで、初夜の参詣者も次々と集まってきました。
私の座敷にも五、六人の同行者が来て話をしていました。その中で勤行も始まりかけたところへ、突然、先ほどの老母と春子が入ってきました。
姉の花子も夜分なので店を閉めて一緒に来ました。
座敷に座って挨拶するやいなや、18歳になる姉の花子が、「オイオイ、オイオイ」と泣き出しました。何事かと一同が驚いたところ、今のお花は泣きながら言いました。
「私も今日の夜に参りたかったのですが、店が忙しくて出ることができませんでした。妹は今日の夜に参り、六字の親様に会えたと喜んで帰ってきました。
私は姉としてまだ六字の力を頂いていないのが残念です。去年は母が亡くなり、胸が張り裂けるほどでしたが、父がいるから大丈夫と思っていました。
今年はまた父が亡くなり、これから何を頼りに生きていけばいいのか...」と恥ずかしげもなく泣いている花子の切ない心情に、一座の人々も心を打たれ、一緒に泣いてしまう始末でした。
そこでの勤めも終わり、説教の案内が来ました。高座に上がってみると、参加者は会場を満たし、立つ場所もないほどでした。多くの人々がいたが、聞いてくれるかどうかは問題ではありませんでした。
両親との別れで悲しみと苦しみに打たれ、心がもてあます中で、如来の助けを切に求めていた花子の心に、今夜中に慈悲の手を差し伸べなければ、私の役目は果たされないという覚悟で、真剣に説教に取り組みました。
通常は2席の説教ですが、その晩は心が張り詰めていたので、3席の話をしました。人々が帰った後、私が休息している間、花子と春子の姉妹が縁側に座ったまま、障子に手をついて、
「今夜の説教は本当にありがとうございました」
と礼を述べたので、私は花子に向かって、
「今晩は花子さん一人に聞いてもらうために、命がけで話したんだ。どうだった、花子さん、六字の教えに満足したか?」
と尋ねると、花子は涙をこらえながら、
「今夜は確かに六字の親様に会えて、これ以上ないほど嬉しいことでした」
と答えたので、私は、
「それでよかった、よかった。それで私も話す意味があった。さあさあ、親様たちと一緒に、姉妹たちと一緒にお帰りなさい」
と別れたのが29日の初夜でした。
明けて30日の朝、一番の船で帰るので、早起きして荷物を整え、同行者に送ってもらって港へ行くと、夜も明けず雪が舞う中、花子と春子の姉妹が元気なく立っていました。
「どこへ行くのか」
と尋ねると、
「今朝はあなたが帰るので、見送りに来ました」
という答えが返ってきました。
「それは親切だが、今朝は特に寒いから風邪を引かないよう早く帰りなさい」
と言うと、姉妹はただ見送りに来たわけではなく、一言言いたいことがあった。
「昨晩はあなたのおかげで、親様とゆっくり眠ることができました」
と言うので、私は、
「それは何より嬉しいことだったよ……恋しければ南無阿弥陀仏を唱えるべし、私も六字の中にいる。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。さようなら、ここで別れましょう」
と言い、船に乗り込み、汽笛の音と共に美しい煙を残して帰宅しました。
翌31日で年が終わり、その次の日が元旦となりました。例により多くの年賀状が届きました。それを一つ一つ見ていると、花子と春子からの葉書がありました。
読んでみると、年始の挨拶は一言で、その後に二人の喜びが書かれていました。文章は簡単でしたが、その中には言葉にできない信仰の花が咲いていました。どうぞ、その葉書の内容に、少し耳を傾けてください。
「この間中は長々の御化導、誠に誠に難有く御礼申上げます。今日という今日は六字の親様に逢はしてもらひ、今夜という今夜は床の中へとぼとぼといだかれ、親様はおれがいたぞおれがいたぞ、ゆっくり休めよゆっくり休めよと、口の中からひょろひょろとこぼれて下さるる、まぁ何という親切極まる親様でしょう。
ああこの親様がおいでればこそ、わたくし共姉妹は、いやでもおうでも浄土へ引ずられ、体の親に再会さして貰うたのしみは、この上もない大幸せ者であります。あらなつかしや南無阿弥陀仏あらなつかしや南無阿弥陀仏。」
さて、みなさま、この可愛らしい短い文句の中に、頼られた様子も、安心の形も、自己の力を捨てた様子も、往生の確定的な意図も、本当に溢れているではありませんか。
特に口からふわふわとこぼれるというのは、何か計画的なことが尽くされた言葉である。
多くの方々は、自分で念仏を唱えるように、思っているので、あまりたくさん唱えてしまうと自力になるのではないか、唱えないでいると感謝が足りないのではないかと、さまざまな計画に絶えず悩んでいます。
念仏が自然にこぼれるということにしてみれば、自分の力はまったくない。
ただ自分としては、念仏の妨げをする計画が得意である。
その妨げをするものは何かといえば、煩悩であるから、その煩悩の頭をたたけば、いつでも念仏がこぼれてくるのだから。
どれだけ念仏を唱えてみても、自分の力はまったくなく、完全にこれは他力の大いなる行動であると思うしかないことです。
さらに今の葉書に、いやでもおうでも浄土へ引きずられるというのは、まさに往生が確定された信仰が、目に見えるようではありませんか。
私たちが願って行くわけでもなく、好んで参るわけでもない。
花の台へ行くまでに、急いで参る心もなく、安養の浄土は更に恋しくもなく、参り嫌いのそのままで、参り損ずることもなく、絶対他力の味が、少女の胸に溢れて見える。
これが完全に六字の手柄に満足できた形です。
この上にいろいろと話したいこともあるが、あまり長くなりますので、今の花子が今年の夏、私の旅中に寄せられた手紙を一通ご紹介し、それで終わりにしようと思います。
次の席から少し話しの方向を変えて、ご紹介したい考えです。
その花子の手紙は、
「近頃の暑さいかが遊ばされますか、御案じ申しています。
私方にては、余りの暑さにたえかねて、氷の柱でも立てたらと思いますが、思ったばかりで思うままにならぬがこの世。
後生はうれしいことを、思うままにさしていただき、体の親にまで再会させていただく嬉しさ、手紙ではとてもかきつくすことは出来ません。
毎日毎日寝るも起るも親様まかせ。
勿体なや、うそもつく愚痴もいう、このきたない口より清らかな、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と御あらわれて下され。うそも愚痴も一度にからめとられて、あとはさっぱり御念仏ばかり、まあ何という尊い御念仏様ではありませんか。
この御念仏がおいでればこそ、この世も後生も間違いなく、親様にすがりつつ、日暮らしさして貰うことの楽しさは、この上もない大幸せ者ですね。
何というても我が身体より、一寸も離れて下さらん、親様ですもの………………南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。」
次の記事:
49.聖人求道の径路
前の席で、法の絶対性を「ねずみ小僧」に例え、機派の盛況は毎日仏教を追い出そうとしているようだと、思い切った話をしました。
皆様は非常に驚き、突拍子もない話だと思う方もいれば、非常に不謹慎な説教であると激しく批判する方もいるでしょう。しかし、信仰の情熱はどうしようもなく、多少の批判は受けるべきだと思います。
私の批判はどうでもいいのですが、最近の問題は困りもので、大切な教主に対しても批判があって、我々大谷派の安心が混乱しています。教主の心霊治療が異端だと言っているのです。
それも、他宗他教の人々が言うのなら仕方ないのですが、大半は教派内の下位の兄弟でありながら、地位や責任のある人から言われているので、涙が出るほどです。
教主は借金の担保や資金調達の看板ではなく、法の主であり、真の安心の提供者です。それなのに、下位の兄弟が一派の安心が混乱していると言うのは、教主の権威の不適切な行動を示すことになるのでしょうか。
人間が考えた心霊治療がどうして異端になるのか、心霊治療が異端なら、電気治療や静座療法も同様に異端でなければなりません。
70年以上前に初めて種痘が流行った頃、ある老人が種痘が異端にならないか心配して尋ねに行った話のように、5、6年後には心霊治療も誰も疑うことがないようになるでしょう。
法主が誤っているとしても、下位の兄弟が公に批判するようなことではなく、真宗の重要な師弟の関係が失われてしまうのではないかと思います。
師匠の命令には逆らえないというのが真宗信仰の基盤で、法主の指示には絶対に従うべきです。もし法主の指示が完全に間違いだと思うなら、涙して諫言すべきですが、公然と批判することはできません。
今の状況では、革命のように法主を廃止してしまい、教義や安心を多数決で定めるようになるのではないかと懸念しています。危険な思想が教派内に広がっているのではないかと心配し、国民道徳の基盤を形成するようになるのではないかと恐れています。
この問題は皆様にとってあまり重要ではないかもしれませんが、宗教と世俗の間の関係を忘れず、教派内で師匠の威信を損なわないように心掛けなければならないと思います。
僧俗ともに真実の信者として認められるためには、自由に知識の良し悪しを言って、思いつくことをしてはいけません。
祖師聖人の信仰では、師匠の言葉に絶対に服従するだけです。その信仰を絶対服従に導いた経路は非常に単純で、親に会うために親に会いに行くという一言で結びつけられます。
その親に会う動機は、幼少の頃に両親と別れたことが原因です。どんなに年を取っても親がいなければ寂しいです。
たった8歳の祖師聖人が両親と別れた心の中は、寂しさと悲しみでいっぱいだったのでしょう。
その心が9歳の春に一変し、今までの身体の親である50年の親から、永遠の親である心の親へと変わりました。未来の親に会いたいと思い、すぐに出家しました。
比叡山での20年間の修業を通じて、智者や聖者の教えを求め、未来への道を探しました。数多くの智者や聖者の助けを受けましたが、自分自身の煩悩と妄念が止まらず、真の心の親に出会うことができませんでした。
結局、自分自身の力だけでは真の親に会うことはできず、神仏に頼るしかないと感じました。
29歳の春に、比叡山の山王七社から祈願を始め、最後の努力として六角堂への百夜の通いを決意しました。
「百夜の通い」がよく知られているため、簡単なことだと思われがちですが、実際には3ヶ月と10日に及ぶもので、雨や風などの困難も乗り越えました。
それも近い距離ではなく、山坂を越えて往復7里もの道のりでした。しかも、一人で真夜中に通い、誠心誠意で観世音菩薩に未来の助けを祈りました。
皆さんもこの話を聞き、祖師聖人の意図を理解したなら、参拝する際には軽い話を控え、真剣に親や助けに出会いたいという願いを持って参りましょう。その一念が安心感をもたらす時でしょう。
百日の満願の夜明けに、「親に出会う告げを五更の孤枕に得て」と言われ、観音様が現れて言いました。「善信房よ、ようこそ参られた。
真実の心の親に会いたければ、比叡山を捜しても会えない。今は吉水の禅室に法然上人という知識がいる、その膝元で聞いて尋ねて、親は待っているぞ、待っているぞ」と。
その告げを受け、祖師聖人は感涙にむせび、早速比叡山を離れ、法然上人の禅室に行き、出家の要道を尋ねました。
その時、法然上人は善信上人に向かって語りました。
「賢者や智者が助かる法則はたくさんあるけれど、愚かな私や、極悪深重な人々には、他に方便はなく、ただ弥陀仏を称え、浄土に生まれると言うのだ。往生の業を念仏に求めるのは、源信和尚の勧めである。
私はいろいろな経典を五回ずつ繰り返し読んでみたけど、どれが助けになる道なのか分からなかった。
悲しんで黒谷の経蔵に入り、経巻を開いて探しているうちに、善導大師の観経の疏で、『一心専念で弥陀の名号を唱え、行住座臥して時節を問わずに念じる者は、清浄な業を積む者で、仏の願いに従う者である』という部分を読みました。
この言葉が魂にしみ、心に刻みつけられました。弥陀の本願の約束である名号の六字で助けられるのなら、それが親であり仏であると信じ、釈迦の教え、諸仏の約束を明確に理解しました。
今は、名号の六字以外の余分な行いや善行は必要ないと語り、宗教の根源と教えの理解を尽くして説明しました。
法然上人の一度の説法で、『すぐに他力による救いの意味を理解し、全ての疑いを決定的に消し去った』と善信上人は感嘆しました。
『ああ、迷った迷った。私も比叡山にいたときに、この六字を知らなかった、聞かなかった。聞いていたり知っていたりしても、この六字が万行の中で最も優れているとは思わなかった。
他人を扱うことは無駄だった。この名号の六字が抱いて助けてくれる親であるとは。二十年の間に探求していた心の親に出会えたのは、建仁元年に吉水に入った時だった』。
親鸞が念仏を唱え、弥陀に助けられるべきだと信じる以外に、別の子細はないと教えられました。これが、絶対的な師の言葉に従い、助けに遇わされ、雑行を捨て正行に帰ったところです。
その後の親鸞聖人の一生と苦労、満90年間、無量永劫の親である南無阿弥陀仏との出会い、この有り難い六字を日本中の人々に知らせ、遇わせたいとの思い、越後への流罪、そして御歌を通じた教えなど、すべて親鸞聖人の一貫した信仰と人々への愛情の表現であると理解できます。
皆さん、祖師聖人の指導のおかげで、末世に生まれた私たちは、この世で未来まで安心して生きることができるのです。祖師の恩恵を忘れず、勇気を持って日々を過ごすべきだというのがこの教えの要旨です。
次の記事:
48.力なくして往生
さあ皆さん、この話をよくお聞きいただけましたか。話し自体は面白くないかもしれませんが、実際の意味や効果は重要ではありませんか。
鬼や悪魔に捉えられても、自分の力で抵抗できなければ、仕方なく従わなければならない時がある。
しかし今は、大いなる悲しみを抱えた親様の偉大な力により、不思議な六字の助けを受けている身です。
心から信じ、従い、安心して確定する信念が、間違いなく阿弥陀仏の働きによるものであることを喜びます。
しかし、このような絶対的な不思議な力で、逃れずにいなければならない自分の真実を見つめると、私はなかなかの策略家で、『悩みの故郷を捨てがたく、まだ未来の安らぎの地は望まれない』という思いがあります。
極楽へ行くより迷っていたい、沈むより浮かびたい、それがこの身の性質なので、この六字の力に守られているから、地獄に落ちたいと思っても落ちられず、あまり望んでいない浄土へ行かざるを得ないことは厄介です。
何とかして生きた仏の化物の、六字を追い出す方法はないかと思います。(皆さんは喜びの相談だと思うでしょうが)。恐ろしいことに、私は毎日、仏を追い出す計画に取り組んでいます。
私の地方では、いくら強気な客でも、ほうきを立てると逃げていくので、私も仏にほうきを立ててやろうかと考え、普通のほうきでは驚かせられないので、
八万四千の煩悩のほうきを立てて、朝から晩まで念仏も言わず、感謝もせず、煩悩のほうきで騒いで暮らして、仏も我慢できずに消えてしまったのではないかと思います。
しかし、夜中に胸を覗いてみると、私を護る呼び声が明確に残っているので、この化物がまだ消えていないのは困りものです。どうにかして浄土へ行かなければならない。
今度は一つ思い切って、毒をかけてやろうかと、私が仏にかけた毒は、モルヒネや硝酸のようなものではなく、三毒という強力な毒です。
これは仏に効く毒で、少しでもかけると逃げてしまう毒です。
阿弥陀様にも効くでしょうが、効果が足りないと困るので、三毒に五欲を調合して、一日中お参りもせず、三毒五欲を使って仏の頭に毒をかけて暮らすと、仏も消えてしまったと思い、枕を持って床に入り、胸を撫でると、間違いなく六字が胸に残っているのが分かります。
これは厄介な問題で、どうにも解決できない。煩悩を払う方法も効かず、様々な試みも無駄だった。
もう手立てがない、今度は最後の手段として食料攻めを試そうかと思った。
でも、阿弥陀様にはご飯をあげない、というのも私の浅はかな行為だ。自分の食べるご飯は三度三度おかわりしているのに、仏様には一日にたった一度のお供え、それさえ忘れてしまう。これこそ真の食料攻めだろう。
時々のお供え物を置いて、そのまま放置するような行為。こんなぞんざいな供養をすれば、気の強い仏でも我慢の限界だろう。
怠惰な生活の後、心の中を覗くと、救いを求める声が聞こえるようだった。この驚くべき事態に、もうどうにもならない、計画も抵抗もすべて尽き果てた。ああ、もう死んでしまう、死ぬしかない、と叫ぶよりほかない。
皆さんも世間で、「あの人は死んだ」とか「この話は死んだ」という言葉を聞くことがあるでしょう。どういう状況で死んだと言うのか、考えてみてください。
手が尽きた所で使うのが死ぬという言葉です。この世の話し合いは成功するか失敗するか、解決できればまとめることもできます。
本当に手の尽きたことはない私ですが、未来の問題については、本当に手強い阿弥陀様に、今回は本当にやり込められました。
これ以上は、恥と後悔、無駄にしたことへの反省が残るだけ。そんな絶対的な手柄を知らずに、悪魔のようなこの機会を、化粧して親を欺くつもりなんて恥ずかしい。
今は「聴聞の化粧部屋、津波に遭う心だ」と思う。全裸でさらされるこの身、後生は弥陀に任せ、残りの世間生活は油断せず、間違った見方に流されないようにしましょう。
外では国のため、内では家族のため、すべて感謝の心で行動しましょう。命がある限り、勇気を持って努め、真実と俗世の二つの真理の教えを生涯の使命としましょう。念仏の継承をしましょう。
次の記事:
47.ねずみ小僧のたとえ
さて、これまでにもお話ししてきましたが、本願他力の不思議な力、悪を造り善のできない私たちが、たった六字の名号を信じることで、正しい信念を持つことができる。
人生の終わりには、最上の証を開かせていただくことができる、この絶対的な方法は、南無阿弥陀仏の六字にあります。
この六字が私たちの心に留まることで、仏の知恵が働き、自力で弥陀を頼らず、安心も決定も往生も、六字で足りることを皆様も実感されたでしょうか。
それについて私は、いつも思います。阿弥陀如来が、私たちを助ける絶対他力の働きは、まるでねずみ小僧が泥棒をするようなものではないかと。
仏様を泥棒にたとえることは、本当に失礼なことですが、絶対に不思議な働きには比喩するものがありません。ねずみ小僧のように、思いもよらない方法で助けて下さるのです。
下品な言葉を一旦忘れて、私の信仰の熱い気持ちを聞いていただきたいのです。
昔、ねずみ小僧という泥棒がいました。非常に困った泥棒で、特にこのねずみ小僧は、魔法で小さな鼠に変身することが得意でした。
このねずみはただのねずみではなく、ねずみ小僧の化物で、家中の財宝を全部奪い去ってしまう泥棒でした。
今、この例えは非常に失礼なことですが、阿弥陀如来が私たちを助ける絶対の働きは、この例に似ています。
阿弥陀如来は、非常に広大な身体を持ち、私たちの煩悩に満ちた心に忍び込むことはできません。
しかし、阿弥陀如来の奇跡の力で、その光明の姿のまま、形を変えて私たちに迫り、南無阿弥陀仏の名号によって助けて下さるのです。
たとえどんなに罪深い人間であっても、名前を一度呼ぶだけで、阿弥陀如来の教えが小さな穴からしみこんでくる。
この六字はただの文字ではなく、阿弥陀如来の化身であるため、三毒五欲の罠にはかかることがない。この六字に取り込まれたら、私たちの罪が一瞬で奪い取られてしまう。
私たちの罪とは、無始以来積み重ねた悪業と煩悩で、これがあれば地獄へ行くことも餓鬼になることも自由にできた。
しかし、この六字が聞こえたら、その迷いの財産は一瞬で消え、困惑しても仕方なく、迷いや沈没の心配がなくなる。それが正定不退の状態である。
この話はねずみ小僧と阿弥陀如来、善悪の違いがあるが、手段の方法は似ているところがある。
ねずみ小僧は人の家に忍び込んで財産を奪うが、阿弥陀如来も心に忍び込んで罪を取り去る。ねずみ小僧は逃げるが、阿弥陀如来は一度宿ったら二度と抜け出さない。
これからは、六字に近づかず、貪欲や怒りで罪を積もうとしても、一度摂取されたら捨てられないことを忘れずに、油断せずに過ごすべきである。
阿弥陀如来が取り去った罪は仕方がないが、一日欲を起こして難儀し、餓鬼や畜生の種を作った後にも、すべて取り去られてしまう。
最終的には、稼ぐ心まで六字の力に捕らわれ、思いがけない浄土へ行くことになる。往生が一定して助けられる道以外なく、絶対他力の味わいは説明しきれないものである。
次の記事:
46.保つ所の仏智を募れ
何よりも、一日中六字(南無阿弥陀仏)の教えに夢中になっています。
信仰も六字、安心も六字、助けも六字、往生も六字、最も重要なことでさえ、生きた仏の親と呼ぶことがあるのです。
ところがある同行者が私を批判して、「あの人は仏の体を嫌い、六字に夢中で、まるで浄土の仏の足を挙げて語っている。彼は一種の法体募りに違いない」と言ったそうです。
確かに六字の教えを重視しているのですが、それは感謝の気持ちに過ぎません。頼むのは私の役目で、助ける仏は阿弥陀様。仏と衆生が向かい合って往生の問題を解決すると理解しています。
何を言っても納得しない同行者もいますが、私が仏の体を嫌うなんてどこにそんなことがあるでしょうか。
逢いたい、見たい気持ちは強いけれど、煩悩に障られて逢うことができないのは仕方がない。この逢えない私に、親様は逢いたくなるのです。内証の功徳や外相の功徳など、すべての力があるのです。
結局、知恵や功徳、手足も、名号六字に含まれています。私たちの耳に届く万行円備の六字を、足りないと批判する人々が、むしろ仏の足を挙げているのではないでしょうか。
六字以外に何かあるといえるのでしょうか。もしそうなら、祖師や蓮師も六字募りであり、全体の聖教は六字募りと言えるでしょう。
法の厳格さを批判する人々がいますが、彼ら自身が誤った方向に向かっているのかもしれません。
何よりも、助けを求めず親の助けを確信しているような異安心を法体募りと嫌うのは、自分たちの大切な助けを受け取らないからです。
大金持ちの親の身代が自分に譲られていると勘違いしているようなもので、大事な身代が受け取られていなければ、出かける際の交通費もない状況です。
法体募りと嫌うのは、この機に受け取らなければならないものを受け取らないからです。言いたいことは、他人に向かうのではなく、自分の持つ仏智に向かうべきであるということです。信仰を深めてみれば、信心が整うでしょう。
「往生に対する信心は確かですか?」という質問に対しては、「確かにある」と答えます。六字がそばにあるからです。
「疑いは晴れましたか?」という質問に対しても、「晴れている」と答えます。六字によって確信を得ているからです。
「雑行や自力を捨てて、弥陀に頼り切りますか?」という質問にも、「ある」と答えます。六字の力で自力の余地はないからです。
最後に言いたいことは、六字の教えをしっかりと受け入れ、心から信じ、それに従って生きることが最も重要である、ということです。
次の記事:
45.御助けの在処が違う
この忙しい日々を乗り越えて集まることは、火の中から耳を傾けるようなものだと言われます。
本当に火の中ではないので耳を傾けることができますし、本当に大千世界中が火で満ちているわけではありません。
この比喩された「火」とは、私たちの心の中の忙しさや煩悩を指しています。この煩悩の火は、どこへ行っても消えることがないのです。
例えば、私の門下生の蓮華庵貞信尼が、真剣に念仏を唱えようとして、京都高台寺の山奥に三年間籠もりましたが、安心が得られず、その心の動揺を歌で表現して山から降りてきた話があります。
確かに山は静かでも、心は常に騒がしい。その騒がしい心を持ち歩く限り、どこへ行っても静寂が得られるわけがありません。
浅間山の煙が消える日があっても、煩悩の煙が消える時はないのです。その煩悩に囚われないよう、法の教えを聞く時を持ちたいものです。皆様、今日も忙しい中を過ごさず、真剣に耳を傾けてください。
さて、前の話から続いて説明します。
四字尊号と六字尊号の違いについてです。鎮西宗では、弥陀の尊号を四字とし、南無の二字を衆生から出すものとしています。浄土真宗では、弥陀の名号は六字で、南無の二字は衆生から出す必要はないとされています。
四字の尊号は、すべて働くことでそのまま助けとなります。余計な四字で、南無阿弥陀仏の六字全体が弥陀の名号だと説明することについては、前にも話しました。
この理解は、日常の行いと死の際の行いの違いが明確に分かるところです。
皆さんが頼む一念の時に往生が確定すると言うことを軽く考えず、真剣に受け止めてください。鎮西宗では、頼む一念どころか、一生頼み続けても往生は確定しないのです。
私たちの宗派では、ただ一念に頼むだけで往生が確定します。電気がつくよりも早く、手を叩いて声が出るよりも早い、その一念で往生が確定します。
これがどうして、無量永劫の大仕事が確定するのか、その説明はこれから続きます。
阿弥陀仏の名前には、すべての生き物を助け、無限の寿命と二つの徳を授ける力があるという意味が含まれています。
このことは、先代の僧侶によって明確に説明されています。阿弥陀仏に対する信仰には四字だけで十分であり、余計な言葉は必要ありません。
真宗の教えでは、阿弥陀仏の助けが私たちの地にも届いているので、特別に求める必要はありません。四字で表される阿弥陀仏の名前そのものが、私たちに必要なものを提供してくれます。
四字と二字、すなわち「南無阿弥陀仏」は、一体のものであり、そのまま阿弥陀仏の助けとして受け取ることができます。
誤解することなく、この教えを理解するためには、深い学びが必要です。人々が自力で助けを求めるという考え方は、真宗の教えには合わないのです。
真宗では、阿弥陀仏の助けそのものが私たちの心に現れるものであり、それが十分であるとされています。
火の例え話で説明すると、火が熱いと感じるのは自明であり、熱いと考える必要はありません。触れれば感じることができるのです。
信心も同じで、阿弥陀仏への信仰は、特別な知識や心配、努力なしに自然に生じるものであると教えています。
阿弥陀仏への信仰は、一心一向にその力を信じることで、無条件で私たちを救い、浄土へと導いてくれるものであるとされています。求めることなく、ただ信じることでその助けを受けることができると説かれています。
次の記事: